Smileと雪山とわたし
開いてくださってありがとうございます。
それだけで画面の前のあなたに超特大ラブコール!!!!!!!
Kis-My-Ft2には人を救うパワーがあるということを自分の言葉で残したかっただけのブログです。
ありきたりなことかもしれませんが、
私は Kis-My-Ft2の楽曲、Smile に救われました。
どっかで聞いたことある話だよな、、、ほんとに、、、、
キス担さんってSmileに勇気貰ったこと少なからずあるだろ、、、、、()
でもまあ私なりの言葉でSmileへの気持ちを綴りたい。
現高校3年生の私が短い18年の人生の中で、Kis-My-Ft2だけが心の支えだった、1番辛くて 八方塞がりで どうすることも出来なかった時期の話です。
単刀直入に言うと、私は中1の頃 いじめられていました。
正直思い出したくもない!!!!!
無理みダムが決壊しそう!!!!!
あと たぶん嫌すぎる記憶なんでしょうね。意図的に私がこの出来事を忘れようとしているのか、記憶が段々と薄れています。空白の時間が多い。
たまにフラッシュバックするけど。
でも7人に助けて貰った、その事実は一生忘れたくない。
だからこうして文字に残します。
私がKis-My-Ft2の存在を知り、応援し始めたのは小学4年生の時です。ちなみに美男ですねの柊さんで沼落ちした😌
でも、私にはその前からずっとずっと、生活の一部を形成していたものがありました。
その名も アルペンスキー⛷❄☃️
こういうやつです。見たことある方いるのかな。
誰が1番はやく山を滑り降りられるか選手権。
ちっちゃい頃からずっとやってました。
物心ついた頃にはもう雪山にいましたね。なんせ実家が最寄りのスキー場まで車で15分というド田舎。笑
小学1年生の頃に競技スキーのチームに入りました。
怪我で今はもう競技は続けてませんが、(骨折2回、脱臼3回?)(しすぎだろ)
選手やってたその頃は気づいたら県で1番とかだった😉😉😉(だからなんだ)
そんなこんなでキスマイを応援しながら 中学生になった私の中1の目標は
「全国大会出場」でした。
まじで夏は走りまくってげーげー吐いたし 熱中症で倒れたこともあった。
冬は学校休んで 1ヶ月くらい北海道の雪山にこもって滑ってました。3学期なんて1週間くらいしか学校行ってなかったんじゃないかな、、、これが県合宿で公欠扱いになっちゃうもんだから恐ろしい😇
足を本気で疲労骨折しかけて耐えた()
いまだにちょっと走ったら痛みがでちゃう🤦🏽♀️
そんなこんなで県予選。ここで勝てば全国大会への切符が貰えます。
言い訳でしかないけれど、やっぱりね、中1と中3って体格も経験値も全然違うんですよ。得意種目で勝てなくて。
苦手な種目でギリッギリ、ほんとにギリギリ、ラストひと枠で県予選を通過、全国決めました。
ほんっっっっとに嬉しかった😌😌😌🥰
全国大会のユニフォームとかめっちゃくちゃ嬉しかったなぁ☺️☺️☺️☺️☺️
のに、これが悪夢の始まりでした。
全国大会の会場は、地元からバスで15時間は余裕でかかりました。遠かったなぁ。
そして会場に着いて、2週間ほどの合宿で、いつもと何かが違った。
つい1週間前まで一緒に北海道で練習してたチームメイト達が目を見てくれなくなった。
一緒に大浴場でお風呂に入ってたのに いつの間にか私を置いて行くようになった。
ご飯を食べる時に話してくれなくなった。
練習中のコミュニケーションがなくなった。
部屋のトイレを自由に使えなくなった。
朝自主練をして、帰ってきて部屋のドアを「開けて」と叩くと舌打ちされた。
私ひとりを部屋に置いて、みんなは隣の部屋でワイワイ喋ってた。
当時両思いだった男の子(のちに彼氏となった人、今は別れたけど)も見て見ぬふりで助けてくれなかった。話してくれなくなった。
(今思い返すとこの元彼めっちゃクズでした、いら情)
理由がわからなかった。
自分が何をしてしまったのかわからなかった。
中学生になり初めての全国大会、右も左も分からない初めての地で、味方はいなかった。
誰も応援してくれなかった。
コーチにも、地元からはるばる娘を応援に来る親にも、迷惑をかけたくなくて言えなかった。
まだスマホを持たせてもらえてなかった私は、地元の友達に助けを求めることも出来なかった。
さらにこの頃に「皮膚むしり症」を発症した。自傷行為のひとつらしい。今日までずっと治ってない。
大好きなスキーを辞めたくなった。
あんなに思いこがれていた全国大会だったのに、こんなの出なきゃよかったと思った。
「県予選で負けてたら 今もあの子たちは仲良くしてくれたのかな」って何十回も思った。
ホテルの窓からこのまま飛び降りようかと思った。
そんな中、唯一与えられていたのが、長時間移動の暇つぶしのためのiPod
もうどうしたらいいか分からなくて、でも大会は出なきゃいけなくて、結局大会の結果もボロボロで、帰りたくて、辞めたくて、ベッドに入って、
イヤホンつけて、適当にシャッフルで音楽を流した。
周りの音をシャットダウンするために。
この時私以外の子は 隣の部屋で楽しそうに喋ってました。
そんな声も聞きたくなかった。
君の笑顔でこれだけの人が笑ってるのに 1人じゃないと気づいてほしいよ
いつかその涙も笑顔に変わる日が来るから 君にはずっと笑っていてほしいよ
聞き覚えのある優しい声。
大好きな声。
ボロッボロ泣いた。
死ぬほど泣いた。
泣いてるのをバレたら何か言われるから、布団に潜り込んで寝たふりをして唇噛み締めて泣いた。
もうどうしたらいいか分からなくて、自分の存在価値が分からなくて、意味のわからない理由で大好きなものを手放そうとしてた私に、
Kis-My-Ft2の7人は、
君は君らしく、君で居れば良い!
と肯定してくれました。
友達100人できるより、信じれる友1人でもいたらいい、って。
君は1人じゃないよ、って。
正直あの場所には私の笑顔で笑ってくれる人なんて1人も居ませんでした。
でも、ここじゃない場所に、私の味方はちゃんと居るんだ、って思えた。
幸い私には、スキー板をぬいで地元に戻ればちゃんと友達も居ました。それを周りが見えなくなってた私に気づかせてくれた。
あぁ、私ちゃんと居ていいんだ、って。
大好きなスキーも辞めなくてもいいのかな、なんて思ったりして。
負けない強さが本当の勇気
そう私に教えてくれました。
そうやってキスマイの7人は、たった4分17秒で、私の世界を少しだけ前向きにしました。
ここでスキーでもメンタルでも いじめてきた子達に負けてたら悔しいな、っていう負けず嫌い精神も発動した😉
自分らしく、好きなものに対してちゃんと好きと言おうと思えたし、
私は絶対他の人にこんな辛い思いさせない、と心に決めました。
大切にしたい人、仲良くしたい人は 守らなくちゃ、とも思った。
そうやって私はKis-My-Ft2に救われて、今生きています。
それから私は中3まで大好きなスキーを続けて、最終的な目標の全国入賞は達成出来ませんでしたが、全国38位で選手人生を締めくくりました。
怪我が多かったことが1番の理由で高校入学とともに選手を辞め、その後は高校の陸上部のマネージャーという形でスポーツに携わりました。(実は中学時代、スキーと並行して短距離もやってた🏃♂️💨)
その中でスポーツが大好きになり、
「スポーツを通して人が笑顔になる世界を作りたい」という夢をみつけました。
あと私みたいにチーム間のいざこざで苦しむ子を増やしたくないから、大学でスポーツ心理学も学びたい、と思ったり。
皮膚むしり症も、治したい、と思っています。
大好きなフォロワーさんにツアーで会ったりした時に自分に自信を持てるように。
めっちゃ可愛いネイルの写真みて、私もやりたい!!!!って本気で思った🧚♀️
今はボロボロの手と爪だけど 現場で会った時はよかったら温かく見守ってください。
そして冒頭で 現高校3年生、といいましたが、
本日2月25日をもちまして、大学受験の全過程が終了しました。
そして無事に、スポーツについて心置き無く学べる大学へと進学が決まりました。
受験期は毎日のように Dream on や 全力ファイター 、 Halley を聴いて折れそうな心をなんとか繋ぎ合わせて勉強してました。
(受験ってバカ辛いね、全人類尊敬したわ本気で)
なんやかんやで、
Kis-My-Ft2のおかげで、私は今こうして生きています。
夢をみつけ、自分の将来に期待を抱いて、前を向くことができています。
真摯にひたむきに前へと突き進み、
掴み取ったチャンスをまた次のチャンスへと繋げて、
ガムシャラに汗を流して、
泥臭く、でもそこが最高にかっこいい、
そんな7人の生き方を心の底から尊敬しています。
私もそんなかっこいい大人になりたいな💭
最後まで読んでくださってありがとうございました☺️
いつも「まめちゃん」って呼んでくださってありがとうございます。
とっっっっつつつつても!!!!嬉しくて!!!!!!
マリアナ海溝より深い喜びを!!!!感じています!!!!!!!!
これからもこんな私と仲良くしてください👯♂️
おわり